2017年8月1日火曜日

思考する言葉。

人間は、言葉という道具を手に入れることによって、飛躍的な進化を遂げた、という。
言葉を使うことによって、他の人間と情報を共有できるだけでなく、生きていくために必要な情報を、次世代にも伝えることができる、それが飛躍的な進化をもたらしたそうだ。

それともうひとつ、言葉が可能にしたのが”考える”という行為だという。
言葉無くしては、人間は考えることができないのだそうだ。

ふむ? 本当にそうだろうか?

確かに。

私がものを考えている時、言葉であれこれと思考を巡らしているね。
言葉抜きでは考えられないのだろうか?
今見ている風景や、過去に見た映像、あるいは音楽、言葉以外の音、
そんなものを想起したり創造したりすることはできそうだ。
だが、それを思考というのだろうか?

考え、思い、想い、思想、想念、概念、思考、想像、信念、理念・・・・・・
およそ”思考”に当たるものは、やっぱり言葉でもって脳を働かしているようだ。

では、人間以外の動物は、考えないのだろうか?
うちで飼っている猫たちは、出窓のところや廊下の済み、椅子の上などに静かに鎮座して、眠っているとき以外はじっと何かに視線を向けて、あたかも哲学者のように見える。
あの姿は考えていないのだろうか?
言葉を持たない彼らではあるが、
腹が空いたら、そろそろ飯だなとか、
なんだか眠いが、ここで眠って安全だろうかだとか、
飼い主が帰宅する時刻が近づくと、そろそろ帰ってくるなとか、
言葉ではない何かを使って”考えて”いるのではないのだろうか。

そんな風に考えていくと、動物だってある種の”思考”を行なっているようには思うのだが。
人間の、言葉を用いた”思考”とはまったく違うものであろうことには納得ができる。

とにかく、画像や映像、音楽や環境音、世の中に存在するそのものを、
観念や概念に置き換えて、より役立つ情報として加工し、他者や後世に伝達する、
そうすることによって、より良い生存環境を手に入れたりキープできる。
それが言葉を手にした人類の生存戦略であるわけだ。

言葉で思考する。思考するために言葉がある。
間違った言葉は間違った思考をもたらし、
正しい言葉ですら、時には間違った思考に陥ってしまう。

一人の頭の中ですらそういうことなので、
言葉を使って他者に思惑を伝達することにおいては、何をや言わんやだ。

ふみみ

2017年7月31日月曜日

言葉のちから。

広告コピーの世界で三十余年の時間を費やしてきたのだが、
実は……正直に言うと、言葉のチカラをあまりにも信用して来なかった。
ついぞコピーライターとして鳴かず飛ばずでこの歳になってしまったのは、
そんな風に言葉のチカラを信じていなかったからかもしれない。

なぜそう考えるようになってしまったのか?

ひとつには、さまざまな物事に対して疑ってかかってしまうという、
私の性質もあったかもしれない。
所詮言葉なんて、などという煎じ詰めずに諦めてしまう癖があったせいかもしれない。

しかし、最もおおきな理由は、携わってきた仕事のレベルだったのだと思う。
レベルというのに語弊があるなら、仕事の種類と言うべきか。

広告会では、デザインに比べるとコピーライティングというのは後発な気がする。
最も、エレキテルを発明した平賀源内が日本のコピーライターの元祖だとするなら、
コピーの歴史は古いものではあるのだが。

歴史はともかく、かつての広告制作において、デザインが主役で、コピーはデザインするための素材の一つ的な感覚があった。
その証拠に、多くのグラフィック広告では、現在でも、
グレースペースと呼ばれるコピー領域はデザイン主体で決められ、
じゃ、ここのところは◯文字数でね、なんてことになる。
文字数を指定されると、我々コピーライターは、嬉々としてぴったり
その文字数で書き上げたりもする。パズルを解くみたいにね。
コピーが重要であれば、ここのところはデザインから割り出された文字数ではなく、
伝達すべき内容を伝えるのにどれほどの言葉が必要か、というところから決められるべきなのに。

さらに、コピーの読み手である消費者もしくは生活者は忙しい、という理由もある。
チラシやポスター、新聞や雑誌広告のコピーを、どれほどの人が読むのだろうか。
ヘッドコピーはたいていは級数がでかいし、目立たせているから目に入るだろう。
だが、それに続くボディコピーが問題だ。
どうせこんなコピー、誰も読まないから……なんどそんな言葉を聞き、
自身でも言ったことだろう。

しかし本当は、読む価値があるコピーは読まれるし、
逆に価値あるコピーを書くべきなのだ。
そして読者に読みたい!と思ってもらえる工夫が必要なのだ。

まぁ、主には上記のような理由で、私はコピーライターでありながら、
その主たる役割を放棄し続けていたのかもしれない。

さて今、コピーライターという職からいったん離れ、再度復活というか、
フリーランスで生きていこうとしているこの期に及んで、
ようやく言葉のチカラを信じるようになった。

その理由は、経験とか直感によるものではない。
科学によるものだ。

その科学とは心理学だが、曰く、人が他の生物と違っているのは、
言葉を持つ唯一の地上生物であること。また、言葉を持ったことで
人類は飛躍的な進化を成功させたという事実。
また、言葉が可能にしたのは、思考というもの。言葉がなければ、
人間は今でも他の動物と同じように森の中をうろついていたであろうということ。

どうやら、人間の真ん中にあるのが言葉というものなのだ。

「私」という言葉がなければ、私という概念は存在せず、となれば、
私という個人の意識も危うくなる。
「あなた」という言葉があるからあなたがいて、あなたが存在するから私も存在する。
少々哲学的な考えに聞こえるが、だいたいそんなところ。
詳しくは認知心理学に問うてください。

ま、とにかく、実は言葉のチカラは、想像以上に偉大なものである、
私はようやくそのことに気づいたのです。今頃になって。

ふみみ

2016年3月10日木曜日

ネーミングというお仕事

かつて、ネーミングというお仕事を何度か請け負ったことがある。
クライアントソースが狭いからか、すべて大手流通企業のショップ名だ。
クライアントからは、これといってネーミングに対する指針はない。
企業のカラ―や雰囲気、地域性、目指すべき方向をこちらで勝手に想定して、
さまざまな言語から意味が通じるモノを探す。
たいていは、未来感のあるものであり、業態の広がりを感じさせるもの。
誰もが呼びやすい、覚えやすい、印象に残る、イメージが広がるものでないとだめで、
あまりにも普通っぽいものは選ばれない。かといって意味がわからないものも持つかしい。

結果、多くは英語になる。フランス語やイタリア語も調べてはみるが、たいていは決まらない。
そのような言語は決定者に馴染みがないし、一般の人にとっても同じことが言えるからだろう。
よほどフランス仕立てやイタリア仕立ての物件でないとその言語は難しいだろう。

日本人相手の日本の案件なのに、なんで英語?

そう思って日本語の言葉も提案するのだが、やはり英文の方が格好良く響くのだね。

それと、長ったらしいのも難しい。クライアントは短いワードを好む。
その方が覚えやすいし印象に残るから。
ところが、言葉は短ければ短いほど、商標登録が難しい。たいていは既に登録されていたりする。

というわけで、「未来」とか「人と人」とか「円満」とか「毎日」とか、
日本語のコンセプト・キーワードを構想し、それが置き換わる英語を探す。
短くて、記号的に印象に残り、しかも商標登録の隙間を狙えそうなワード。

かくして私が考えたネーミングでいまでもご商売されているお店が関西圏に三グループ(3店ではない)。
ネーミングではないが、ニックネーム的キャッチフレーズが、いまでも微かに生きているらしいのが1件。
残念ながら多くはないが、プレゼンの機会が少なかった。落選したネーミング案件もたぶんもっとたくさんあったのだろう(忘れちゃった)。

最近、ネットでネーミング公募みたいなものを見つけて、暇にあかして提案してみるのだが、これが非常に確立が低い。
もっともこっちも思いつきレベルでの投稿になるわけだが、競合相手はたぶんほとんどが知ろうとで、つまり彼らも思いつきネーミングだ。
発注者はむしろそうした思いつきの中にいい言葉が見いだせると割り切っているのだろう。
公募が終わって結果を見てみると、私は思いつかなかったような言葉だったりする。
水がらみのイベントの名前が「ザブーン」みたいなね。
私は一生懸命アクアだとかウォーターとか考えていたのに、ザブーン!って。
結局、ネーミングってそういうものなのかもしれません。

2016年2月10日水曜日

平凡すぎる名前について

(NOTEからの書き写し)
 最近は子供に”きらきらネーム”なんて名前をつけるのが流行りだということですが。そりゃあもう振門体(ふるもんてぃ)だの、嘉緒翠(かおす)だの、読めませんがな。
それはさておき、逆に平凡な名前ってどうなんだろう?
日本人の名前の代表と言えば、山田太郎だとか、花子ってところかと思うのですが、実は山田という苗字は日本一多いのかと言えばそうでもない。
ググってみますと、多い苗字のランキングは、
1.佐藤 2.鈴木 3.高橋 4.田中 5.伊藤 6.山本 7.渡辺 8.中村 9.小林 10.加藤
だそうで、山田さんは12位のようです。なぁんだ、山田さんが一番多いわけじゃないのだ。
じゃぁ、名前の方は? 太郎が日本一? と思って調べてみたら、太郎なんて百位にも入ってこない
男女併せてトップ10は
清 茂 勇 博 進 実 弘 正 勝 隆 だそうで、女性名はトーンと出てこない。ようやく58位で勝美というのが現れるけれども、これは男女兼用? 60位に薫、78位に正美、これは女性名でしょ! っていうのは、和子で136位。その次は幸子で173位。その後は258位清美、267位一美、280位和美、300位節子と続きます。
まぁ、なぜこのような名前のランキングが気になったのかと言いますと、ちょっと平凡なお話をつくってみようかしらんって思ったときに、それなら登場人物は平凡な名前でなくちゃあって思って調べてみたんですけどね。
ググっている中で質問サイトに投稿しているこんな人が。
「私の名前って平凡なんでしょうか? 同姓同名が近所にいたり、どこかの女将さんだったり、殺された人だったり……検索するといっぱい出てきます……」
こんな悩みもあるんですね。回答者が言うには、世の中に多い名前はたとえばタナカノリコ? ジュンコ、イクコ、サチコ、ですか?
そうすると質問者、ひゃあ、この中に私がいる! だって。
なかなか興味深いQ&Aでした。
ちなみに自分の名前はランキングでは見つけられず、全国で198人いるそうな。姓名フルネームですと、なんと全国で私一人しかいない。つまり同姓同名の方はいないんですよ。これはびっくり。私の名前はきらきらネームじゃないですけど、そんな希少なフルネームだったんですね!
ちなみに調べたサイトは同姓同名ランキングってところ。
あなたもやってみやってみ!?

2016年1月22日金曜日

ないのと同じ。

あの人のことが好き。
でも言えない。言わない。
好きだと思っているだけでいい。
思っていればきっといつかは。

”言葉はいらない”

そういうエントリを書こうと思ったが、少し前に既に書いていた。じゃぁ、

”伝えなきゃ伝わらない”

ことを書こうと思ったが、これもほぼそのようなことを既にここで書いていた。

でも、もう一度書いてみよう。

心の中で思っているだけでは何も伝わらない。
伝わらないということは思っていないのと同じことだ。

好きだということもそうだけれども、
何かをしようと考えている。でも誰にも言わないし、そのうちそのうちと、行動にさえ出ない。

そういうのも思っているだけで実行していなければ、思っていないのと同じ。

ないのと同じってことは、存在していないってこと。

もし、それが今の自分にとって最も大事なことだったりすると、
その大事なことが存在してないってことは、もはや
自分自身がこの世に存在していないのとほとんど同じ感じなんじゃない?

思っているだけじゃダメ。
考えているだけじゃなにもはじまらない。

自分から言葉にしなきゃ、行動に出なきゃだめなんだ。

……とは思うんですがねえ。
ふみみ

2015年4月10日金曜日

48文字のメッセージ

140文字以内のメッセージ=twitter はもはや日常普通のツールとなってしまった感がありますが、
私なんかは時々は覗き見るものの、ほとんどそこにつぶやきを入れたりすることはないのであります。
なんで?だって?
面倒くさいから。

さてそれはともかく、世の中には文字数を定めた文章がいくつも存在しますね。
俳句、短歌、五行歌。
そんなんじゃなくても、四百字原稿用紙一枚でとか、原稿用紙百枚以内でとか。
文字数が多いと面倒だけども、短すぎるっていうのもまた文章を書くのは難しい。
私なんざ、文字数を定められると意地になってその文字数ぴったりに書いてやろうとか思っちゃう。
まるでパズルに取り組むようにね。

ところがこればかりはちょっとできないなあと思うのが、48文字一回使用のメッセージ。
日本語には「あいうえお~わをん」まで、48文字が存在するわけですが、

”この48文字をそれぞれ一回だけ使って意味のある文章にしなさい”

こんな問題を出されたらもはや手も足も出せません。
ところがこれをやっているのが昔からあるいろは歌なんですね。

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず 
        (中学教科書)
あまりにも知りすぎていていまさら何とも思わなかったにしては、よく考えるとすごい文章じゃないですか。
色っぽくて、クールで、哲学で。
いったい誰がこんなすごい文章を作ったのでしょう。
一説には空海であるとも言われているけれど、それも確かではなく、wikipediaでは、
作者不明となっています。

思うんだけれども、日本語48文字を一文字ずつ使って歌をつくろうと考えたのがこれなのか、
あるいはこの歌に使われた48文字が日本語として残ったのか(昔は、48文字以外の発音も
あったと聞いている)。どちらにしてもこれは日本を代表する詩節でしょう。

48文字を一回ずつ使って他の文章をつくるなんてとてもできないさ、そう思っていたら、
かつてそんなコンテストがあったんだって。

明治36年(1903年)に万朝報という新聞に、新しいいろは歌(国音の歌)が募集された。
通常のいろはに、「ん」を含んだ48文字という条件で作成されたものである。
一等には、坂本百次郎の以下の歌が選ばれ、「とりな順」として、戦前には「いろは順」
とともに使用されていた。

とりなくこゑす ゆめさませ
みよあけわたる ひんかしを
そらいろはえて おきつへに
ほふねむれゐぬ もやのうち
鳥啼く声す 夢覚ませ
見よ明け渡る 東を
空色映えて 沖つ辺に
帆船群れゐぬ 靄の中







すごいもんですね。。。   ふみみ

コピーライティングで儲ける?

一行、ウン百万円!
かつてそんな噂もあった。
もう三十年以上も前の、コピーライターブームと言われていた時代に
今や大御所となっておられる巨匠コピーライターの一行に対する噂だった。
それがほんとうかデマかは、本人に確かめたことがないのでわかりませんが、
少なくともひとつのプレゼンでそのような金額が支払われていたことは事実だ。
ひとつのプレゼンということになれば、コピー一行というわけにはいかないだろうが、
たとえば一本のコンセプトコピーと、それを展開させた表現コピーが数本、
さらにはデザイナーを巻き込んだ表現カンプと企画書、
そうした一連のプレゼン物で数百万、ということはあっただろう。
そんなケースで、突き詰めると最初に編み出された一本のコンセプトコピーに対して
一本ン百万円、と噂されたということは十分にあると思う。

巨匠たちのそうした都市伝説は当時たくさんあった。

ポケットから取り出したくしゃくしゃの紙に書かれたコピーでプレゼンしたとか、
用意された企画書を使わずに、まったく異なる企画を口頭でプレゼンしたとか、
いかにもありそうな話であり、そういうことは実際にあったようだ。

最近、ネット上でコピーライターを名乗って稼いでいる人物がいる。
K.T.という人は、K広告事務所というのを原宿あたりにかまえているそうで、ネット上やリアルでコピー教室を開催しているが、コンサル業務が中心のようだ。彼の名前をTCC(東京コピーライターズクラブ)などで見たことがない。

U.K.という人は、ネット上だけで露出していて、いわくダイレクトレスポンスのコピーライティングでン億円儲かる! 的なコピー講座を開いている。こちらの方も、業界内では聞いたことがない名前で、その作品もどこにも露出していないところを見ると、どうもネットだけのコピーライティングで稼いでいるようなのだが。

広告コピーで稼いでいる人は、ヒットした作品群を手がけて有名になって仕事を手にしている。
ところが、そうじゃないのに儲かっているというのは……よほどうまい商売ができているのか、あるいは?
地道に制作して稼いでいるクリエイターは結構いると思うけれども、コピーライティングでン億円稼いでいるなんて言われるとどうにも胡散臭いね。

まぁ、有名にも、億万長者にもなれない私が言うのもなんですけどね。
                         ふみみ