2015年4月5日日曜日

たとえば、好きという気持ち。

誰かに「好き」という感情が芽生えたとして。
向こうはこちらの気持ちなんて知らない。
それどころか、こちらの存在すら知らないかもしれない。
電車の中で見かけるあの人、
同じ学校なのにクラスが離れている人、
部署が違う会社の先輩。
あなたはその人の姿を見かける度に心が揺さぶられる。
あるとき、偶然すれ違ったときに、なにか声をかけられたかもしれない。
あなたはドッキリしてどう反応していいのかわからない。
うつむいたままやり過ごしてしまった。
でも、あのhとは声をかけてくれた。ほんの朝の挨拶だったけれども。
私の存在を知ってくれているんだ。
いやいや、もしかしたら、私の思いが通じているのかも。

妄想はどんどん膨らんで、いつしかあなたはまるで相思相愛なのではないかと思いこんでしまう。
向こうがこっちを見てくれているような気さえしてしまう。
でも本当はそうじゃない。

もっと近しい相手だったとしよう。
会社の同僚。
学校のクラスメイト。
もしかしたら幼なじみ?

とにかく、相手のことを好きなんだ。
私が好きなのだから、それでいいじゃない。
同僚やクラスメイトならよく知りあってるし、いまはただの友達に過ぎないのかもしれない。
でも、私がこんなに好きなんだから、いつかきっと気持ちが通じるに決まってる。

既に恋人や夫婦だったとしよう。
かつては恋愛をして一緒にいるようになったとしよう。
でも長い付き合いの中で次第に空気のような存在になっていく。
空気のような存在が悪いわけではない。
それはきっと、お互いに遠慮のない、フランクな、居心地のいいカタチなんだ。
好きという感情はいまでもあるのだけれども、それ以上に日常生活というものに浸りきってしまっていて、もはや好きであろうがなんであろうが構わない状態。
お互いに好きだった同士なんだから、いまさら。

心の中で思っていることは、きっと相手にも通じている、わかってくれている。
そう思いたいのは人情だけれども、それは単なる妄想に過ぎない。

思っているだけじゃあだめなんだ。
実際に口に出さなきゃあ、伝わらない。

ことばって、そのためにあるんだよ。
                                    ふみみ

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