2015年4月6日月曜日

あなたのことを、わかりたいのに。

「先生、人間はお互いにわかりあえないんじゃあないですか?」
どうしてそんなことを聞いたのかはまるで思えていない。
「そりゃあ、あたりまえだ。だから文学っていうモノがあるんじゃないか」
フランス文学の教授がそう言ったのだけは覚えている。
もう随分と昔、大学二年生の終り頃だったと思う。
フランス語の単位を落としかけていて、なんとか先生にお願いするために教授に接近したときの会話だったように思う。
記憶にあるのはただこのことだけなんだけれども、そのときから私の中では
”人はわかりあえない。だから文学がある”
という概念だけがいつまでも残っているのだ。

最近になって、別のなにかから学んだのは、やはり人間は相手のことを決して理解できないという事実。
それは心理学もしくは脳科学的なアプローチによるものだったと思う。
いや、そんなことはない。私は友人のことを凄く理解してるよ。
そういう人もいるかもしれないが、個人の頭の中にあるもの、あるいは心にあるもの、
それはその個人だけがわかっているもので、いくら目と目を合わせようが、どれほどの言葉を重ねようが、決してそのすべてを相手に伝えることなんてできないのだ、そう書いてあった。
その通りだと納得した。特にデータ的な裏付けがなくとも、そうだと思ったのだ。
理解していると思っているのは、単なる幻想にしか過ぎない。
「ああ、わかってるよ、お前のことはすべて」
そう言ってのけるのは、そう思い込んでいるだけ。
本当は相手の考えていることの半分も……いや、十分の一も理解していないかもしれないのだ。
まぁ、三割でも理解してもらったら御の字だろうと思う。
それほど人と人はわかりあえないのだとしたら、やっぱり理解するためにいくらでも言葉を重ねるしかない。
いくら言葉を重ねても、半分くらいしかわかってもらえないとしても。
同じ文章を読んでも、人それぞれに理解の仕方や理解した内容が違うというのは、まさしくいかにそのまま伝わらないかという証拠だと思う。
しかし、だから文学って面白いのだ。
絵を見て、あるいは音楽を聞いて、千差万別の感想があるように、言葉においてもそれぞれに違う解釈ができる、だからこそ芸術でありうるのだ。

なんか賢そうにエラソーに文学論っぽいことをかいてしまったけれど、
本当は私は何もわかっちゃあいません。
ただ、やっぱり人と人は決してわかりあえない、
若い頃に訊いてしまったそんな言葉が頭の中をぐるぐる回っているだけなんです。

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